高橋先生


夜遅くに失礼します。

感動しすぎて、先生に気持ちを伝えたくなりました。



マーチング、お疲れ様でした。

美咲たち、本当にかっこよかったです。美咲たちらしい、力強くて真っ直ぐな演奏演技でした。

みんなの顔がキラキラしていて、本当に素晴らしいものでした。


特にたっちゃん、薫が3年間ドラムメジャーをやっていたこともあり、きっとプレッシャーは大きかったと思います。それでも、たっちゃんワールド全開で笑顔いっぱいの演技をしていたたっちゃんは本当にかっこよかったです。

ブラボー!!!!


演奏が終わっても涙が止まりませんでした。これまで美咲たちがどれだけ踏ん張って、諦めずに頑張ってきたのか、よくわかりました。

人の心を動かすほど、みんなは立派でした。


演奏中、美咲たちのことを考えていると同時に昨年のマーチングのことも思い返していました。

今ではもう懐かしい出来事ですが、あの時の感情、空気、景色、全て鮮明に覚えています。

忘れることはありません。

今だから言えることを言います。

あの時はもう何もかも嫌でした。

何をするにも心がついていかなくて、あの時の自分は無気力だったと思います。

それほど、昨年のマーチングは自分の中で鮮明に残っている辛く悲しい思い出です。



今しかないこの時間、美咲たちに精一杯頑張ってほしいです。

一生懸命頑張っていることを知っているからこそ、より一層応援したくなります。

応援する側ってこんな気持ちだったんだなって今日改めて感じました。


本当にみんなお疲れ様でした。


高橋先生も身体に気をつけて、無理せず頑張ってください。


美咲たち、心の底から応援しています。


今日は本当にお疲れ様でした。

素敵な時間をありがとうございました。


北林音巴







1年前。

私は発表を聞いていられず、会場に生徒を残し、タクシーで学校に戻った。音巴たちの顔を見ることが出来なかった。1人学校に戻り、生徒たちに伝える言葉をざわざわする心を抑えながら懸命に探し続けた。見つからなかった。言葉が見つからなかった。大義に何度も何度も問い掛けた。でも言葉は出て来なかった。



あれから1年。

あの日を忘れたことはなかった。

今日、この日を待っていた。音巴たちの気持ちを拾い集め、しっかりと握り締める必要が私にはあった。それを美咲たちに託した。



習志野と市柏は別格中の別格であった。大横綱、全く歯が立たない。足下にすら及ばない。圧巻のサウンドと演奏演技であった。



しかし、私は美咲たちの気迫、執念、溢れ出る音巴先輩たちへの思いがこもった演奏演技に涙が止まらなかった。美咲たちは120%以上の力を出し切った。上手いとか下手を超えた次元の6分間であった。これこそ高校生。これこそ人間。これこそ音楽であった。心が揺さぶられた。


あの大横綱習志野、市柏を越え、市船を1位にしてくださった審査員がいらっしゃった。正直に素直に嬉しかった。この方には何かが伝わったのかもしれない。心の中で感謝を述べた。




まだ決着はついていない。

東関東小田原で代表に選ばれなければ、音巴たちの気持ちを拾い集めることは、まだできない。



再び地道な分厚い日常が始まる。

美咲たちと共に1日1日確実に乗り越えていきたい。





保護者の皆様、後援会の皆様、そして何より柚希組のみんな、ありがとうございました。まだまだ続きますが、今後も応援、ご協力宜しくお願い致します。



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炎上という言葉をよく耳にします。



ほとんどは匿名。もちろん実名で堂々とご自分の意見を述べていられる方もいます。しかし、残念ながらほとんどが匿名の方々です。


まるで正義の味方であるかのように振る舞い、あること、ないこと、会ったこともない何も知らない人間の人格を深く傷付け、前後の脈絡を割愛した言葉のある一部分だけを切り取ってひたすら揚げ足をとり、攻撃します。







私は集団の中で人間は誰しも一番下は嫌だと考えています。誰かより少しでも上にいたいと思うのが私たち人間だと考えています。かくいう私もそうです。


自分が集団の中で認められず、下の位置にいると感じた時、私たちは四つのパターンに分かれます。


  自分より下の者を必死に探す。

  自分より上だと思うものの足を引っ張る。揚げ足を取る。

  「どうせ」「だって」と自分に言い訳を付け自分を諦める。自分から逃げる。

  努力する。努力して自分を高めようと頑張る。



生徒たちに「やはり④が一番カッコいいよね。辛いけれど、④の努力で上へ上へ目指そうね。多分ね、そうやって努力して高みを目指していると、そのうち相手と自分を比べていること自体馬鹿らしくなるんだと思うよ。そう思えるようになったら、こんなに楽しい人生はないよね。努力ほど辛く楽しいものはないけれど。努力以外私たちを幸せにしてくれるものはないね。そして好きなこと、やりたいことの努力を大切にしようね。それは大人も子どもも同じ。やりたいことの努力は一生懸命やるけれど、やりたくないことの努力は苦手。かと言ってやりたくないことをしなくていいという意味ではないからね、勘違いしないこと。」とよく話します。




日々ネット上で繰り返される誹謗中傷の数々。

恐ろしいことは深い意味も理由も、訳も知らず、揚げ足を取り続けることです。その揚げ足取りは、やがて同調圧力を生み出します。

これは学校や職場などで行われるイジメの構造と酷似しています。


職場にも、学級にもイジメの中心人物がいます。私の経験上、そういう人は非常に自己肯定感が低く、人を誹謗中傷することにより心のバランスを取ろうとしている人が多いように感じます。優秀なのにコンプレックスの健全な処理方法がわからない人です。ですから自分で自分のストレスをコントロールできないように思えます。その中心人物がターゲットを誹謗中傷し続けることにより、そう感じていなかった人たちまでもが同調圧力と化していきます。


同調圧力は人を殺します。


同調圧力により、つまりイジメにより数え切れない子どもの命が奪われました。


イジメはファシズムとよく似ています。



この多様性ある令和の時代にありながら、LGBTの問題、夫婦別姓の問題など極々プライベートな問題が本来あるべき姿へと多様性を手に入れようとしている時代、大変残念なことにSNS上の世界では多様性を認めず感情の激化が同調圧力を生み出し、ファシズム化する怖れさえあります。


もっと深く考え、安易に同調圧力の一員にならないことが多様性を守り抜かなければならない私たち令和に生きる人間の責務だと考えています。




まさか政治家ではなく、ネットから同調圧力というファシズムが生まれようとは、考えもしませんでした。

恐ろしい時代です。




やはり私たち人間の根は同じ。

人から認められたい。

自分が一番下は嫌。


この根の健全な育成を目指すのが学校。




































私は私のやりたいことをやりたいと思っています。

私は私の都合を優先させたいと思っています。


やりたくないことを無理にやるのは嫌です。



恐らく私以外の方々も皆様方同様だと思われます。




それは、

相手のやりたいことをどう尊重するかに繋がります。(反社会的なことは論外ですが。)


その為には相手の立場、都合を想像する力を育むことが必要となります。


学校で学ぶべきことは、その想像力を培うことだと考えています。






教師の負担として部活動が問題視されています。おっしゃる通りです。部活動は強制ではありませんから、やりたくない教師に強いるなど問題外です。やりたくない生徒に強いるなど言語道断です。あってはなりません。


やりたい生徒と、やりたい教師、親がやればいいだけのこと。それ以上でも、それ以下でもありません。









次は戯言と聞いてください。

私の30年間の現場経験をもとに生徒目線で物言います。(他の先生方におかれましては違うご意見もあると思います。)


なんで?やりたくもない数学を週何時間も座って聞いていなければならないの?

なんで?やりたくもない古典文法を何時間も我慢して聞いていなければならないの?

大好きな部活の時間を取り上げられ、なんで大嫌いな勉強の時間は我慢して何時間も座って聞いていなければならないの?学校に部活目的で来てはいけないの?なんで??なんで?なんで?

なんで?大人は勉強していると良い子だといい、なんで大好きな部活を一生懸命やると、ブラック部活だね〜とからかうの?真剣にやっているのに。

真剣に取り組んでいるものをなんで?馬鹿にするの?

大人の皆さんは、そんなに勉強好きだったの?学校へ毎日毎日勉強しに行っていたの?本当なの?過去はどうにでも言えるよ。うちの親父は野球しに学校へ行っていたと酔っ払うと言うよ。昔の子どもは許されて、今の子どもは好きな部活やることを許されないの?

なんで?ブラックだとか、闇だとか、馬鹿にするの?からかうの?

こんなに真剣なのに。

大好きな大切な仲間がいるのに。

なんでその心を捨てろと大人は言うの?そんなに勉強って大切なの?

そんなに大人であるあなたは学校で勉強ばかりしていたの?友だちより勉強の方が大切なの?

教えてください。大人たちのみなさん。








想像力を培うことが学校で学ぶべきことです。それは教科書には書いてありません。人が本気で人と関わり合うことから培われるものです。





教師の働き方改革として登場した部活動ガイドライン。それそのものは部活動の意味、在り方を見直し、教師の働き方改革のきっかけとなっているのでしょう。


しかし、その一方で教育現場である学校にタイムカード導入。教師の仕事はある意味自由裁量に任されているところに良さがあり、その裁量が教師としての本領を発揮させるのだと私は思います。

生徒指導の問題は突発的に起こります。深夜になる時もあります。それでも残業手当は出ません。だからこそ、夏休みなど自由裁量的な面が教師の幅を支えていたのだと思います。








何もかも画一化し、教師の働き方の自由裁量まで奪おうとする現実。

それに加え教育現場で好きなことを生徒と共に思いっきりさせてもらえないもどかしさ。




誰がこんな職業希望しますか?

親に叩かれ、世間に叩かれ、誰がやるんですか?

決して高給取りでもありません。


誰もやらなくなります。



教師のなり手がいなくなったら、この国は滅びます。

子どもと本気で向き合う大人がいなくなったら、この国は滅びます。





目先ではなく、

本格的な人工知能AIの時代を迎えようとしている今、

10年後、50年後、100年後を見据えての学校改革を望みます。


もう偏差値教育はとっくの昔に終焉を迎えています。

戻るのではなく、更に質の高い意味ある学校作りをする時だと考えます。


戦後74年。学校教育の考え方を根本的に考え直す必要があります。





私の考えは一貫しています。

学校は

自己肯定できるところ。

自己実現できるところ。

その視点に立ち、多様性を失うことのない学校作りの議論が必要だと思われます。



部活動第一主義者ではありません、私は。

生徒の自己肯定について日々考え続けている毎日です。





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暑く辛く苦しい練習だが、みんな心から楽しんでいる。81人が力を合わせることにより、どんどん出来上がるマーチング 市船ショータイム。
器用な子も、不得手な子も三年生は全員メンバー。マーチングも、コンクールも一生懸命取り組んでいる。
三年生は一瞬一瞬の幸せを噛み締めている。もう二度とない時間を惜しんでいる。





私たちが練習をしていた体育館の前でスケボー少年たちが真剣な眼差しでスケボーを練習していた。ひやひやするような技も練習していた。何度も何度も何度も諦めずに繰り返し練習していた。この子たちは心からスケボーが好きなんだろうな。どんなに辛い練習でもスケボーの技術が上達するものであれば果敢に挑んでいくのだろうな、と微笑ましく見させていただいた。




自分のやりたいこと、好きなことに夢中になる。
その好きなことを通してかけがえのない仲間を得ることが出来る。





子どもは好きなことを思いっきりやってはいけないのでしょうか。













blogの掲載写真に関しましては了承済みです。

そもそもメディア、YouTubeなどに出演する機会が多い市船吹奏楽部、入部する際に承諾を得ております。そもそも私たちは不特定多数の方々の前で演奏したり、パフォーマンスする団体ですので、了承済みです。


ご心配ありがとうございます。












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