下記のカウントダウンポスターは、引退日(定期演奏会)まで、3年生全員が1人1人順番に書いているものです。

新型コロナ以前から、過去どの代も3年生になった時に作ってきたものです。(本来であれば紙に書き練習場のみんなが見える所に貼ってあります)
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あと233日。


目標を高く持つことは極めて重要なことです。目標を自分のすぐ近くに設定してしまったら、それより先に行き着くことはできないでしょう。


目標はできるだけ高く、遠くに設定する。それから、そこに行き着くための手段を考えます。ゴールを先に考え、どうやったらゴールに辿り着けるか、道筋を考える。頭の中に地図を作る。


例えばトランペットをプロオーケストラの首席のように上手くなる。と目標を立てます。

立てたらプロトランペット奏者を自分の中で描きます。


・ハイトーンを軽々と華やか且つ重厚な響きで演奏している!

・どんなフレーズも流れるように演奏している。それはスタッカートであっても同様!

・マシンガンのように鮮やかなタンギング!

どんな音の跳躍もスムーズに行えるリップスラー!

・時にはバイオリンの響きの中に溶け込むように演奏!時には大オーケストラから突き抜けるような輝かしい響きで演奏!


というように自分の頭を使って考えます。

ここ大事!!先ずは自分で考える。(目標に進み続けるならば、後々、それは違うと指摘してくれる人に出会ったり、指導してもらえる人に必ず出会える。それは音楽に限らず何の分野にも当てはまるもの。)


これで目標が設定されました。

次はそこへ辿り着く為の道筋を考えます。

具体的な曲を考えることもいいでしょう。

よし!フンメルのトランペット協奏曲を完璧に吹きこなせるようにするぞ!と。

目の前にフンメルのトランペット協奏曲の楽譜が表れました。ありゃー!この曲をあのプロオーケストラ首席奏者のように演奏するにはこれが出来ない、あっこれも出来ない、あららこれすら駄目だ。


問題はここー!!!



ここで諦めてしまうか。


いやここで!!出来ないことを出来るようになる為には何をしていけばいいのかと考え、実践していくか。


言わずもがな。




目標は遠くに、そして実践するものは自分の近い所から”  

これがスタートです。スタートが決まりました。







ポイントは!!!

スタートではなく、ゴールを最初に決める。

ゴールであるプロオーケストラ首席にはなれないかもしれませんが、今の自分よりは確実に遠くの自分へと進化できます。



あのNBAで活躍されている八村塁選手は高校生の時からNBAで活躍することを目標にされていたそうです。しかも確か彼は中学時代は野球部だったはずです。ボールが速過ぎて誰も彼の球を受け取れず、ピッチャーではなくキャッチャーだったとか。

高校生の八村塁君がNBAを目標にバスケットをしていなかったら現在の八村塁選手は存在していなかったのかもしれません。





頑張れ、友理たち!!!!

休校の今だからこそ出来ることがある。





私は友理たちのゴールを決めています。

妥協しません。





下記のカウントダウンポスターは、引退日(定期演奏会)まで、3年生全員が1人1人順番に書いているものです。

新型コロナ以前から、過去どの代も3年生になった時に作ってきたものです。(本来であれば紙に書き練習場のみんなが見える所に貼ってあります)

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ラスト234日。






夢を見ました。


リアルな夢でした。


コンクールへ向け、最後の練習を終える。皆楽器を片付け、各自バラバラで会場となる千葉県文化会館へ。

私は何故かカレーライスを食べている。その時、ふっと「あっ!通すのを忘れたーーーー!!!しかもカット決めていないーーーーーー!!!どないしようー!!あー本番ぐちゃぐちゃになってしまうー!!」と焦る、焦る。


が、しかし

気付くと場所は千葉県文化会館のリハーサルA室。「カットはな、えーと、何だっけ友理?」と話している間に本番の舞台上へ瞬間移動する。カットは決まっていない。通したこともない。演奏は始まってしまった。曲はどんどん進んでいく。「あー!!!もうすぐカットする場面に来るー!!!」皆んなは何事もなく演奏している。「あれー?おかしいな。皆んなはわかっているのかな。」そして問題の場面に

(T_T)

カットする生徒はいるわ。カットしない生徒はいるわ。ぐちゃぐちゃ。収拾がつかないまま演奏は進んでいく。ついに本番中に叫ぶ。

「Eに飛ぶんだー!」

ところが、Eと聞こえた生徒と、Bと聞こえた生徒がいたらしく、曲は更にぐちゃぐちゃになり千葉県文化会館中に鳴り響く混沌とした世界。


まだ夢は覚めず。結果発表まで夢に出て来る始末。


「船橋市立船橋高校 コロナにより失格」


「???」


何だ、それー?!


というような夢でした。

夢にまで結局コロナが出て来るという悲惨な結末でした。


(T_T)


そんな中、

本日、例年ファンファーレを演奏させていただいている船橋競馬場最大のレース!かしわ記念が行われました。私は毎年演奏させていただいているにも関わらずすっかり忘れていました。生徒自らがテレワーク合奏を自主的に行い、ファンファーレ動画を制作。その動画に感動し競馬場の方にお送りしたところ、是非、レース直前に動画を放映したいとのこと。こんな有難いことはないと、競馬場の方々に感謝、感謝。本日、千葉テレビにて生放送されました。実現しました。



ありがとうございます。心より御礼申し上げます。


一人一人自宅にいますが、私たちはコロナ禍の中にあっても皆で活動していることを改めて感じることが出来ました。


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市船吹奏楽部友理たち。

たのもしい。たくましい。たのしい。



諦めない。

下記のカウントダウンポスターは、引退日(定期演奏会)まで、3年生全員が1人1人順番に書いているものです。
新型コロナ以前から、過去どの代も3年生になった時に作ってきたものです。(本来であれば紙に書き練習場のみんなが見える所に貼ってあります)
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あと235日。





人間は「都合」と「承認欲求」という二つの単語で論じることができる。



人間の歴史も「都合」と「承認欲求」たった二つの単語で論じることができる。





「都合」と「承認欲求」は争いを生み、問題を起こし、時に戦争をも起こすことがある。









「都合」と「承認欲求」のない人間に私は会ったことがない。「承認欲求」を得ようとするが為に「都合」を押し殺している人間に出会ったことはあるが、それとて「都合」なのであろう。








そして、人間の「都合」と「承認欲求」は善と悪というような二元論で語られるものではない。



人間は「都合」と「承認欲求」そのもので出来上がっているという事実があるだけである。




人間を「都合」と「承認欲求」という視点から考えると何もかもが、私はスッキリする。ストンと心の中に落ちて来る。



ところが「都合」と「承認欲求」の人間は面倒なことに社会的動物である。ここが面倒である。絶えず都合と都合がぶつかり合う。

ゆえに戦争は絶えない。

ゆえに法律が生まれる。


しかし、時に権力者は法律をも破り、己の「都合」と「承認欲求」を押し通して来た。歴史は権力者の「都合」と「承認欲求」そのものであるとも言える。






5月2日にNHKスペシャルで放映されたJFK。ケネディは誰かの「都合」と「承認欲求」にとって邪魔であった。実に恐ろしい。


また最近の日課。夜はDVD鑑賞。

チェルノブイリ原発事故の最新映画5話からなるものがある。当時のソビエト政府の「都合」と「承認欲求」により隠蔽が繰り返され、いったい何万人、何十万人の人生が消えたのであろう。是非、ご覧になっていただきたい作品である。



そんな権力者の「都合」と「承認欲求」を暴くのがジャーナリズム。






わからぬことも「都合」と「承認欲求」の視点から考えると不思議と腑に落ちる。

それは善と悪ではない。そう言いたい訳ではない。







己の「都合」と「承認欲求」と相手の「都合」と「承認欲求」が一致すれば当然だがお互い良い人となり良好な関係が成立する。

一致しなければ、あの人は何もわかっていないとなる。不平不満の対象となる。嫉み妬みの対象となる。悪口の対象となる。

なんとシンプルなのであろう!人間とは!!



「都合」と「承認欲求」は救いようのないものだから『法律』を生み出したが、道義的には『寛容』という概念を生み出した。これは実に興味深い。




人間関係に悩んだ時、自分自身に悩んだ時、出口が見出せなくなった時、視点を「都合」と「承認欲求」にしてみると、なーんだそんなものか、となる。実に人間とはシンプルである。複雑だと考えない方がいい。



皆、「都合」と「承認欲求」の自分自身を背負って生きている。

それだけのこと。

それは善でも、悪でもない。


が、時に善になり、時に悪になることもある。それとて「都合」と「承認欲求」なのだが。











人間関係って難しいなぁ。

人間って面倒だなぁ。

とよく耳にするが、「都合」と「承認欲求」の視点から考えれば、なんてことはない。




そして、最後に決して忘れてはならないこと。

かくいう自分自身も「都合」と「承認欲求」で生きているということ。この自分に向かうベクトルを忘れ、他人の「都合」と「承認欲求」を責めることこそが最も愚かな行為である。時に責めなければならない時はあるが。






と思う。




今回も偉そうに書いてしまいましたー。

申し訳ありません。こんなこと書けるような人間でないことも重々承知していますが、私の「都合」と「承認欲求」で書いてしまいました。



様々な情報が飛び交っている現代社会だからこそ鵜呑みにせず、その情報を発信されている人間の「都合」と「承認欲求」を見抜く考え方をしましょう。それは決して相手を疑うということではありません。あくまでも私もあなたも持っている「都合」と「承認欲求」という視点から考えればいいのです。


悩み解決する場合ありますよー!

人間不信になる必要もなくなりますよー!


だって自分も含めて皆んな「都合」と「承認欲求」で精一杯生きているのですから。





自分も含めて

ここが肝心です!!!!!!


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