毎年毎年毎年…


定期演奏会前は

本当に定期演奏会が出来るのだろうか?
と焦りながら日々を送っている。
しかし、引退、つまりは最後を目前にした3年生の底力は凄まじく、その凄まじい力に後押しされ、この十数年全ての定期演奏会を乗り越えて来た。

どの代も素晴らしい感動的な生きた人間が奏でる音楽をして来た。後悔した定期演奏会は一度もない。必ず良い意味で燃え尽きる。そういう演奏会であった。





今年は例年以上に焦っている。こんなに焦ったことはない、というくらい焦っている。未だに何も仕上がっていない。何一つまともなものがない。

だが、焦っても仕方ないので、美咲たち3年生の底力を信じてひたすら楽譜と向き合う。




信じるのみ。



それは私自身が美咲たちに3年間伝え続けて来たことを信じるに他ならない。




自信とは、自分を信じること。と自分に言い聞かせる。

ジタバタしても何も変わらない。

3年生 歌劇メンバーの名言。

「先生、11月はなぜ?31日までないんですか?」


これを冗談ではなく大真面目に伝えて来るから、うける。笑



私も思います。


「なんでー?1日30時間ないんだー!!!!」



時間がほしいー!!!

IMG_2260

IMG_2259
IMG_2258
IMG_2264
白か、黒かが重要なのではなく、その間に存在する無限の色こそが重要と説いてみたところで、こんな自分も存在する。


それは、このマーチングコンテスト全国大会へ臨むにあたり、多くの方々のご苦労があった。その方々に対し、目に見える結果を残せなかった自分に対する否定感である。


何よりもあんなにも苦しく辛い思いをしながら頑張り続けた生徒たちへ目に見える結果を残せてやれなかった自分に対する否定感である。



矛盾しているが、確実に私の中にある。















が、立ち止まって考えた時。


私は幸いにも目に見える結果を残せた時と、残せなかった時、両方経験させて頂いている。




結果を出した生徒たちと、残念ながら出せなかった生徒たちとのことを考えてみた。



結論。

何も変わらない。

彼らのその後の人生において何も変わらない。

大切なものは目に見える結果ではないことがわかる。




それは、市船吹奏楽部の軸が全くブレていないことを表しているとも言える。











勝ち続けることは怖い。

なぜか?

勝ち続けると、「何の為に」の「何の」が全く違うものになってしまう。「何の」=「勝ち続ける」になってしまう。これは怖い。

勝ち続けると、勝ちにのみ目が眩み、如何なる手段をも使おうとする。当然、本質を忘れ、『勝ち続ける」ことが目的となる。その時点でもはや学校とは程遠いものになってしまう。実に恐ろしい。しかも指導者はその恐ろしさに気付いていない場合が多い。


私がもし勝ち続けていたら、そうなっていないとは言い切れない。私は如何なる手段を使ってでも勝とうとしているかもしれない。






また、負け続けるのも怖い。負け続けると卑屈になってしまう。悪い意味で開き直り人のせいにするようになる。これは、これで怖い。








学校が学校として存在する目的は自己肯定感を育むことにあると、私は考えている。そうそう簡単にいくものではないが、目的はそこにある。

そうあらねばならない。





コンクール、コンテストに出ることは、手段であり目的ではない。目的はあくまでも自己肯定感を育むことにある。



昨夜、ミーティングをし、生徒たちは次を見据えている。次に動き出している。今日の帰りのバスでは吹劇「jupiter 人工知能AI 人間であることの意味」の歌合奏を行っていた。




定期演奏会もまた手段。目的ではない。この手段は絶大なる効果を持つ。




市船の生徒はもうそこに向かっている。

己の魂を込め、自分がここ市船吹奏楽部で生きた証を求め、最後の舞台へと向かっている。



12月25日 最終公演が終わった時、美咲たちが自己実現し、達成感と充実感の中、自己肯定していることを願う。












写真は、

吹劇歌合奏に励む部長。


帰りのバスの中でも生徒によるミュージカルステージを考えている通称“歌劇メンバー”。


足柄サービスエリアから見える富士山。


そして最後の写真は約9時間かけて学校に戻り、すぐに帰ることなく、定期演奏会3年パフォーマンスの練習に励む美咲たち。引退まで1ヶ月を切った美咲たち。ここに居られる1秒ですら愛おしい。





実に健全である。





だからこそ、私は目に見える結果を出す為の努力を怠る訳にはいかない。己れの無能は努力で何とかしていくしかない。


決して軸はブレることなく。








↑このページのトップヘ