私は日々、自身のコンプレックスと闘っています。

いや、闘っていると表現するとカッコ良すぎますね。

闘っているのではありません。

不適切な表現でした。


「自身のコンプレックスをいつも気にしています。」が適切だと思います。



自身のコンプレックスと、

時に闘う時もあります。

人のせいにして逃げる時もあります。

人を貶し自身の位置を上げ錯覚をする時もあります。

自慢話をし得意気になる時もあります。

人から必要とされると安心し、その瞬間コンプレックスが気にならなくなる時もあります。

しかし、絶えずコンプレックスは私の隣に座っています。




これは、恐らく私だけではなく、多くの方々が自身のコンプレックスを気にされているのではないでしょうか。


少々大袈裟かもしれませんが、人生って、この自身のコンプレックスとどう向き合い、どう共に生きていくかなのだと思います。




近年、2ちゃんねるから始まり、TwitterFacebook等々、数々のSNS上の世界が誕生しました。


そこでは匿名による誹謗中傷が後を絶ちません。これとて自身のコンプレックスを気にしているゆえのことなのかもしれません。


私もよく叩かれます。

「馬鹿顧問」だの(確かにー!おっしゃる通り馬鹿です。)「マジうぜえ奴」だの(そう感じられるならわざわざアクセスされなければよいと思うのですが。)「市船吹部生徒への愛がマジキモ」(確かに私は市船吹部の生徒をリスペクトしています。)「市船の生徒を褒めることで奴は自分自慢をしているだけ」だの(もはやここまで穿った見方をされる方にはなんとお答えしたらよいのやら、トホホ。)

・・・etc



まぁ匿名で叩くわ、叩く。

市船吹奏楽部の顧問であり、市船吹奏楽部のblogなのだから、褒めて、自慢して何が悪いのかしら?と思うのですが、お気に召さないようです。

名誉毀損に値するようなものもあります。


私はTwitterの類いをしていません。不特定多数の方が私の気持ちを、考えをご覧になれるのは、このblogだけです。



いつも思います。

そんなに私のことを誹謗中傷し、お嫌いならば、私のblogなど見る時間そのものが勿体ないだろうにと。私が驚く程入念に読まれ誹謗中傷していらっしゃる。


これも自身のコンプレックスとの関係なのだろうと私は推察しております。



この文章をお読みになられ、また引き合いに出され誹謗中傷されるのでしょう。



3年A組という興味深い荒唐無稽のテレビ番組がありました。『匿名による誹謗中傷について今こそ立ち上がり、考えましょうよ。』という内容の番組でした。

最近は韓国のKARAのハラさんがSNSの同調圧力、誹謗中傷により自ら命を絶たれたのではないか?と言われています。また小学校、中学校、高校などでも、SNS上の匿名による誹謗中傷、いじめは後を断ちません。




私たちは誰もが皆、自身のコンプレックスを抱え日々悶え苦しみながら生きています。


その苦しみからどう抜け出していくか、それは相手を否定し、誹謗中傷することでは決して抜け出すことは出来ません。





また意見と誹謗中傷は確実に違います。


根本的に違うものは、実名と匿名の違いです。


中には匿名だからこそハッキリと意見を述べられるという方もいらっしゃることでしょう。

確かに時と場合により、そういうこともあると思います。それにより救われる場面もあると思います。



しかし、今、世界で止めようもないほど動いている匿名による誹謗中傷について、私たちは真剣に向き合わなければならない時に来ていると思います。


名誉毀損は民事事件と刑事事件、どちらかになり得ます。


つまり、名誉毀損は犯罪と認定されています。




人間は自信(自己肯定出来ない状態)が持てないと、なぜか他者に対し不寛容となります。


不寛容さは攻撃的なものへとなるケースが非常に多いように感じます。


この根本的な原因は自己否定感。つまりコンプレックスにあるのだと思われます。





自身のコンプレックスとどう向き合うか、どう抜け出していくか。




本来、学校とは、そのことについて考える場なのだと思います。




戦後の偏差値教育は、学校本来の目的とは真逆の方向へ突き進んでいったとしか言いようがありません。学校が生徒にコンプレックスを植え付け、可能性を決め付けて来たとしか私には思えません。



既に始まった人工知能AIの時代。




誰もが抱えるコンプレックスをどう克服していくか。






落ちこぼれ、底辺校、指導困難校、などという人間の尊厳を踏みにじった言葉を生んだ偏差値教育を、この国は本気で考え直さない限り、何も変わりません。



十把一絡げにし、世界を白黒にする。

匿名による同調圧力は膨らむばかり、

毎日のように自分のコンプレックスを誤魔化す為に何の生産性もない誹謗中傷がネット上で飛び交い繰り返される。




人が人を信用出来ない世界へと我々は真っしぐらに進んでいくのでしょうか。



市船吹奏楽部の生徒をリスペクトしています。今日も彼ら、彼女らは真剣に自分自身のコンプレックスと向き合い、人の気持ちに寄り添う努力をしました。匿名ではなく、自分の顔で、言葉で、身ぶり手振りで、相手と、そして自分自身と真剣に向き合いました。


相手を信じるには、不確かなこの自分自身を強く信じる意志を持たなければなりません。


彼ら、彼女らは必死に意志を持とうと、立ち向かおうとしています。




定期演奏会まで、あと5日間しかありません。

闘うは自身のコンプレックス。



赤ジャは諦めません。最後の最後まで。














IMG_2329
IMG_2331
ノーベル賞を受賞された吉野さんが働き方改革についてご自分の考えを述べられていた。


全く同感である。
吉野さんのような考えがなければ画一化された白黒の世界となってしまう。画一化から吉野さんのような天才は誕生しないであろう。

この国で個性重視は常套句となっている。
が、いつも真逆へ進もうとするこの国。



今、日本は、誰の意志ともわからぬ、いやもはや実体すらない世間の同調圧力に流され、未来を見据えることなく、何でもかんでも白黒にしようとしている。十把一絡げで述べ、画一化へと真っしぐらに進んでいる。

5年後、10年後、100年後の教育のことを、日本のことを考えているとは到底思えない。









そんな中、市船吹奏楽部は白黒ではなく鮮やかな世界を作り上げようと日々奮闘。鮮やかさはユートピアではない。己と向き合う毎日。それが色鮮やかさを生むと私は考えている。




写真は市船吹奏楽部が誇る親父会。
まさに個性尊重、精神的豊かさを具現化している会である。この親父会に現役生徒たちはどれだけ助けられていることか、どれだけ愛されていることか、親父皆さん、多くの生徒を我が子のように愛し守り応援してくださる。実にありがたい。



私には親父会が個性と協力尊重の象徴に思える。

親父会に限らない。
保護者会も、後援会も、そしてOBOG会も。

画一化とは真逆の世界が、ここにある。



どう感謝の言葉を述べてよいのか、言葉が見つからないほどに感謝している。



親父会の皆々様、心より



ありがとうございます。







先日、私は白内障の手術を行った。手術はあっという間に終わった。濁った水晶体を私の眼球から切り離し、人工の水晶体を瞳の中に考えられないスピードで嵌め込んだ。白く濁り見えにくかった世界が今では鮮やかに見えている。私の身体には人工の水晶体が埋め込まれている。私は人造人間となった。


人工知能AIの進化は、もはや誰にも止めることは出来ない。近未来、人工知能AIは人類の知能を追い越すと言われている。人工知能AIの進化は、私のこの水晶体のように加齢と共に古くなっていく人体のあらゆるパーツを人工的なものと交換し、私たち人類は、先ず不老を手にし、いずれは不死を手にする日が来るのかもしれない。不死というのは非現実的だが、300年くらい生きる人類が誕生するのかもしれない。遠い未来ではないような気がする。


古代エジプトの王たちは不老不死を手に入れる為、水銀を飲んでいたと言われている。時の権力者は不老不死を夢見ていたようである。全ての権力を手にした支配者にとって最後の望みは不老不死だけだったのであろう。それを人工知能AIが可能にしようとしている。


果たして不老不死は幸せなのだろうか。私は中学生から高校生にかけて手塚治虫氏の火の鳥を夢中で読んだ。火の鳥の生き血を飲み、不老不死を手に入れた主人公。心臓にナイフを突き刺しても死なない。ピストルで頭を撃っても死なない。何をどうしても死ぬことはない。100年が過ぎ、1000年が過ぎ、1万年が過ぎ、10万年が過ぎていく。死なない。当時、中学生の私は不死という究極の孤独について考えさせられ、恐ろしさを感じていた。


今年で14作品目となった。人間の根源的なテーマに高校生が挑むところにこそ吹劇の醍醐味がある。テレビはつまらぬことを飽きもせず永遠に垂れ流し続けている。政治家は何がしたいのかもわからない。常套句は国民の為だが、誰一人国民の為と感じている者はいない。世の中白と黒に溢れている。特に大人の世界には鮮やかな色が一つもない、高校生は色鮮やかである。大人が雁字搦めにしなければさえ、高校生の感性は色鮮やかである。目が離せないほどに美しい。



この度の吹劇 第14弾「jupiter  〜人間であることの意味〜」モチーフ曲はホルストの木星よりイギリスの第二国家とも呼ばれている大変有名なあのメロディである。日本では平原綾香さんがアレンジされ歌い上げ、ミリオンセラーとなっている。物語は人工知能AIにより不老不死を手に入れた富裕層の人々。それとは違いありのままを生きる人々。富裕層の人々は不老不死を手に入れたものの、それは悲劇の始まりであることにやがて気付いていく。


私たち人間には終わりがあるからこそ人間である意味がある。


終わりがあるから人を愛す。終わりがあるから想像力を持てる。終わりがあるから人の痛みに寄り添うことができる。何より終わりがあるからこの時を全力で生きようとする。終わりは私たちに幸福を与えるものである。


不老不死など必要のないもの。


今を全力で生き切ることに人間が人間であることの意味がある。



そんな思いで、吹劇 第14弾「jupiter  〜人間であることの意味〜」に挑戦しました。吹劇は、あくまでもイメージの世界です。美咲たちの吹劇をご覧になられ、ご自分の人生の終わりについて深く思いを寄せられ今を生きられることの幸せをどうか噛み締めて頂ければ、私ども作り手としましては、この上ない幸せです。





美咲たちは、この定期演奏会を最後にここ市船吹奏楽部から去っていきます。永遠はありません。永遠など必要ありません。



それでは、吹劇 第14弾「jupiter  〜人間であることの意味〜」最後までどうぞごゆっくりご鑑賞ください。




吹劇 第14弾「jupiter  〜人間であることの意味〜」


序曲

ありのまま

管理されゆく人類

あの頃

Hey Siri

全知全能の神 人工知能AI

不老不死

不老不死の悲劇

終わりがあることの意味

宇宙(輪廻)







ご覧にならないと損です!!!


高校生美咲たちの生き様を見てください。



25日 習志野文化ホール 昼公演

チケットまだございます。



是非、市船の吹劇を生でご覧になられてみてください。



↑このページのトップヘ