2020年03月

志村けんさんの訃報により新型コロナウィルスの恐ろしさがにわかに身近になりました。


欧米の映像を観て、毎日報道される日本の感染者数を聞いて、確かにこれはただ事ではないと頭の中でわかっていながらもどこか他人事のところがありました。面識はもちろんありませんが、国民的スターの死は私たちに新型コロナが如何に恐ろしいものであるかを否が応でも知らしめました。



しかし、必要以上に恐れないこと。このスタンスは非常に大切なことだと思われます。



マスコミにお伝えしたいことが一つだけあります。

これは難しいお願いなのかもしれませんが、あります。

「本日、東京で新たに68人の陽性が確認されました。」

ではなく、

「本日、東京で新たに68人の陽性が確認されました。うち40人は無症状。24人は軽症。4人が重症化する恐れがあります。重症化する恐れのある4人の方々は80代です。」


と出来得る限り正確で詳細な情報を提供していただければと思います。


そのような報道にして頂けたら、若い人たちは今以上に感染に対し真剣に考えるようになると思います。また余計な恐怖心を煽り集団ヒステリーを起こすリスクも減ると思います。



志村けんさんについて様々なことが報道されています。スターの宿命ですが、その情報により私たちは深く考えさせられました。ヘビースモーカー、限度を超える酒量、過去肺炎を患っていたこと、そして70歳という年齢。

私たちは情報を得ることにより、どういう方々がより注意を要するものなのかを理解することが出来ます。周囲にそういう方がいらっしゃったら注意深く接することを考えるようになります。



闇雲に「怖いものだ。」「感染してはならない。」「外出を自粛しろ。」等と言われるより、その背景にあるものを若者は理解する必要があると思います。


報道の仕方で大きく変わるものです。


ただ何十人陽性、陽性と報道されたとしても不安と恐怖心を煽るだけで、私たちから考え行動するという最も大切な力を失わせる気がしてなりません。集団ヒステリーが起きてしまったら取り返しのつかない事態になります。


新型コロナは明らかに怖いものだとわかりました。では次に先へ進む為にどうするのか、何をすべきなのかを詳細な情報のもと指示を待つのも重要ですが、自ら考えることこそが最も重要なことだと考えます。









市船は厳しい条件の下、25日より部活動が再開されました。

以前のように思いっきり出来る訳ではありません。また3週間以上休んでいた痛手は大きいものがあります。

それでも生徒たちは今この瞬間、出来ることを精一杯頑張っています。


4月4日のスプリングコンサートは当然のことながら中止となりました。

毎年スプリングコンサートでは生徒オリジナル手作りミュージカルと手作り音楽劇があります。

3週間休んでいる間、生徒たちはスプリングコンサートが行われることを信じてLINEアプリで連絡を取り合い、動画を送り合い、着々と手作りミュージカルの材料を用意していました。なんと健気なのでしょう。


そして本日、それらの材料をもとに手作りミュージカル初の原形の通しを観せてもらいました。


観た瞬間、素晴らしいと思いました。

多くの、沢山の方々に観てもらいたいと思いました。

新型コロナに翻弄され前を向けずにいる世界中の人たちに観て聴いてもらいたいと思いました。


観終わった後、必ず勇気と元気を手にして会場を後にされると思います。





消えたスプリングコンサート。

皆様にどうご覧になって頂くか。


北海道YOSAKOIソーラン祭りも、コンクールも、マーチングコンテストも、定期演奏会さえわからない世界的状況です。

しかし、世界の状況、日本の状況を見ながら伝える方法を諦めずに考え努力し続けたいと思います。


命が大切だということは生きているが大切であるということに他なりません。私たちが生きるのは過去でも未来でもありません。今です。まさに今しかありません。今この瞬間の積み重ねが命だと私は考えています。



もしかしたら再び休校宣言が行われるかもしれません。それは十分考えられます。世界の命を、日本の命を救う為に必要なことであるならば行うべきことだと思います。それでも、その中でを大切にするにはどうしたらいいのかを生徒と共に考えていきたいと思います。







新型コロナに翻弄されたとしても市船吹奏楽部は市船吹奏楽部です。ブレることなく大切にして来たものは今後も大切にしていきたいと思います。







必要以上に恐れるのではなく正しく恐れましょう。





8時だよ全員集合。毎週楽しみにしていた子供の頃。

志村けんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

先はわからない。

専門家でさえ言っていることに統一されたエビデンスがないようだ。全てが初めてのことであり、誰をも責めることなど出来ない。2週間前のニューヨークと今のニューヨークを見れば何が起きるかなどわからない。わからないことだらけ。


先はわからない。


我々は総理、知事、市長をはじめとしたリーダーの指示のもとやれることをやるしかない。


先はわからない。



丁寧に我々のレベルで集められる情報を集め、できることをしていくだけである。



先はわからない。


今、できることをやれることを精一杯やるだけである。





一つだけハッキリと言えること。

感染した方は悪人ではない。

この一点だけは、我々は肝に銘じておかなければならない。

感染しないよう万全の準備をしたとしても感染することは私も、あなたも十分過ぎる程考えられる。


感染した方は悪人ではない。



今の世の中。

感染したら、まるで犯罪者のような空気感。

こんなこと絶対にあってはならない。


絶対にあってはならない。







若い方々は無症状のうちに罹患している可能性があることを自覚し、出来る限り今は高齢者の方々と接触しないようにすることが重要なことである。



素人の考えだが。




友理たちの健気さに応えてあげたい。それだけである、私は。

毎日、何ができるか考える。



わからないからこそ。





旭商の佐藤淳先生からLINEを頂きました。
先日旭商を卒業された部長のミントが佐藤淳先生に送られた文章です。

ここにご紹介したいと思います。

佐藤淳先生は、生徒たちのことを誇りだと話されています。もちろん私の誇りも生徒です。




『今日、北海道新聞の方から電話で30分ほど取材を受けました。
ラジオや新聞など、旭商吹奏楽部の素晴らしさを知っていただける機会があり、本当に嬉しく思います。
ラジオでもそうでしたが、後輩に贈るメッセージや後輩への思いを聞かせてくださいと言っていただけます。私の言葉を拾ってくださる方がいて、聞いてくださる方がいて、幸せだなぁと思います。

コロナウイルスの感染により、思うようにいかない後輩の部活動。今頃、市船・カナダと経験を積む赤ジャの成長を間近で見れたのに、と悔しい気持ちがあります。
それでも一生懸命家で個人練習をして、パーリーに報告して、、そんな風に頑張っている後輩はやはり私の誇りです。

一方で最近よく考えることがあります。
「人生は終わりがあるから美しい」
市船からいただいた言葉です。
現役時代、何度もこの言葉に救われてきました。この言葉があったからこそ限りある時間の中で精一杯、自分らしく必死に・夢中に生きてこれたのだと、今思っています。
駆け抜けた先の終わりが思い描いていたような終わり方ではなかった時、人はどのように感じるのでしょうか。
私は、どこにぶつけたら良いのか分からない、言葉では表せない感情がずっと頭の中に巡ります。
勿論、終わりが綺麗ではなかったから今までの全てが無駄なのかなんてことはありません。ですが、このみんなの努力を最高の形で終わらせたかった、という欲望はどんなに抑えても0にはなりません。諦めの悪い性格なのでしょうか、笑
だからこそ、今の現実を向けて頑張っている現役に私はエネルギーをもらいます。

そんな現役たちに、今を一生懸命に生きて欲しいと送った言葉。果たして良い言葉の選択だったのかは分かりません。
きっと今、赤ジャ達は自分たちのコンクールがどうなるかも分からない、言ってしまえばこの1年の活動全て。東京オリンピックも延期になり、ますます厳しい状況になると思います。そんな終わりが不安定な状態で今を生ききれ、なんて無責任ではないかと、考えています。考えれば考えるほど、分からなくなります。

でも、私が言えることは自分が後悔していないということです。どの時期も踏ん張って生きてきたからこそ、終わりに納得がいかなくても生ききったと思えること。
改めて、旭商吹奏楽部の環境に感謝しています。
でもそれは、私は全ての活動を十分にできたからこのような事が言えるのだと思います。

すごく話が色々な方向に行ってしまいましたが、伝えたかったことは、終わりがあるから美しい人生の中でゴールが見えない時もやっぱりがむしゃらに生きることが大切なことなのでしょうか。その終わりが見えなくても人は最大の力を出せるのでしょうか。やってみないと分からないことですが、自分が分からないことを後輩に求めるのも、違うと思うのです。
これから最後の何かが潰れてしまうかもしれない赤ジャへかける言葉が見つからないです。
でも本当に心から応援しています。

私の文章力では伝わらないかもしれません。
ぜひ、淳先生や、できましたら高健先生のお話もお聞きしてみたいです。
長文失礼しました。』

昨年の春出会った旭商吹奏楽部部長ミントの文章です。




市船は本日より部活動が始まりました。当然のことですが、そこには政府の指針に沿った多くの細かい決め事があります。正直活動しにくいと言いますか、クオリティを上げるにはかなりきついものがあります。しかし、それでも思いっきり楽器を吹き、叩き、弾き音を響かせられる喜びは幸せそのものです。




この新型コロナさえなければ、
友理たちは多くの本番をこなし、そろそろ旭商との合同合宿が始まり多くの学びをするはずでした。

多くのものが消えました。


しかし、世界はそれどころではありません。オリンピックは延期となり、オリンピックを目標にされているアスリートの悔しさは想像すら出来ません。
また多くの学生が、私たち市船吹奏楽部や旭商吹奏楽部のように数多くの本番、試合、活動、学びの場を奪われました。しかもそれは今後も続く終わりの見えないものです。
悲しいのは辛いのは私たちだけではありません。もっともっと辛く苦しい中でも笑顔を絶やさずに今日を懸命に生きている方々は大勢いらっしゃいます。



先のことは、全く見通しが立たない今だからこそ、今できることを泰然と行える精神状態を友理たちと共に努力し作り上げていくことが今の私の目標です。


必ず、友理たちにしかできなかった、友理たちだからこそ味わえた思い出を共に作り上げ卒業させたいと思います。





ここ最近、自分自身をも含め、人間の剥き出しのエゴイズムの闇に触れ、思慮に思慮を重ねることばかりでしたので、今日の友理たちの笑顔は救いそのもの。佐藤淳先生が言うように私の誇りは生徒であり、私の救いは生徒だと痛烈に思い知らされました。




恥ずかしなら新型コロナウィルスの何が問題の核心なのか、ようやく理解しました。





8割は軽症または無症状であるが、重症化する恐れのある方々が2割いらっしゃる。


重症化する恐れがある方々を救うにはオーバーシュートを起こさないこと。オーバーシュートを起こしてしまうと医療崩壊が起き、助かる命さえ助からなくなる。コロナとは全く無関係の病を持つ方々さえ助けられなくなるかもしれない。まさに医療現場がパニックに陥る。


各国のリーダーが戦争と呼ぶのも頷けます。



新型コロナが恐ろしいのではなく、新型コロナ感染拡大による医療崩壊が最も恐ろしい。

ようやく実感しました。

つまりは新型コロナが、恐怖以外の何ものでもないことをようやく理解しました。





残念ながらイタリア、スペイン、フランスをはじめとしたヨーロッパの国々ではオーバーシュートを起こし医療崩壊を招く結果となってしまいました。アメリカニューヨークも深刻な状況にあります。

医療崩壊の結果、助かる命を助けられない辛さ、苦しみは想像に難くありません。



そして、これは他人事ではないということがようやくわかりました。日本が同じような状況になったとしても何ら不思議ではないことがやっとわかりました。


生半可な知識、裏付けのない情報で独りよがり偉そうに述べていたことを恥ずかしく思います。


申し訳ありません。







本日は登校日でした。

久し振りに生徒の顔を見ました。皆んなマスクをしているので表情はわかりませんでした。

すぐに下校しなければならなかったので話らしい話は出来ませんでした。


それでも生徒がいる学校はいいでね。

桜が満開に咲いたような華やかさがあります。








数々の二度と戻らぬ大切な本番が消えてしまった友理たち。




今、友理たちに私が出来ることは何なのか考えています。


先ずはチームの立て直し。

soundの立て直し。












昨年の12月に行われた美咲たちの定期演奏会のDVDが手元に届いた。


早速観てみた。



そこには今を懸命に生きる命の輝きがあった。迸る音楽。躍動する魂。全身から溢れ出るエネルギー。それでいて慎ましやかなオーラ。どれもこれも本気、本物。上手いとか下手とか、そんな言葉では表せないものがあった。




消えた3月。

失われた3月。




この命の輝きは、当然ながら市船吹奏楽部だけではない。日本中の多くの吹奏楽部にあるものだ。


美咲たちは幸いにも12月に定期演奏会を行うことが出来た。



しかし、この2月、3月、いったいどれだけの吹奏楽部が断腸の思いで定期演奏会を中止にされたのであろう。


たった一度しかない学生時代。




美咲たちの定期演奏会DVDを見終わった後に私が思ったこと。


それは世界中を敵に回してでも、この定期演奏会を美咲たちにやらせたであろうということ。不謹慎極まりない発言であるが、それが私の正直な気持ちである。

それほど、この演奏会には命に匹敵する何かがある。何度も言うが、それは上手いとか、下手とかという類いのものではない確かな何かがある。


それは美咲たちに限るものではない。歴代の定期演奏会、どこの代にもあるものである。言葉では表現できない。




お前は馬鹿か、狂っているのか、と言われようが、この定期演奏会には命に匹敵する何かがある。

生きる、生きているそのものとでも言うべきものか。

何とも表現しにくい。




政治を見ても、世界を見ても、様々な出来事を見ても、人を見ても、善意を見ても、親切を見ても、素直にストレートに受け止められなくなって来るこの年齢。何か裏がある。誰かが自分の都合のいいように仕組んでいる。

歳を重ねていくと、己のことが嫌と言うほどわかり、そんな風にしか世の中を見られなくなって来る。そんな大人が、ここには打算も、利己的もない真っ白なものを感じるのは何故なのだろう。




自分で顧問をしていながら不思議でならない。



美咲たちの表も裏も打算も闇も光も都合も弱さも強さも何もかもわかっていながら、そんなものを一切感じることのない真っ白なものが確実にある。


音楽の力なのか。

高校生の力なのか。

その両方の力なのか。









やはり、

気が狂っていると罵られようが、世界中を敵に回そうが、定期演奏会だけは行うであろう、私は。






旭川商業高校顧問佐藤淳先生のお気持ちがわかり過ぎるくらいわかる。









さて、問題は友理たちだ。

現実が一気に私を襲う。




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