2020年06月

3ヶ月間もの休校が終わり、学校が再開し3週間が過ぎ、4週間目に入った。


学校が再開したことは生徒にとってこの上ない喜びであることは間違いない。

しかし、人間そう簡単には出来ていない。

ステイホームが日常となってしまった3ヶ月間という現実。
当たり前であった学校生活は特別なものと変わってしまっていた。


この現実の違いからの脱却は文科省、行政が考えているような簡単なものではない。まして専門家会議?にわかるようなものではない。


現場にしかわからないことである。
解決は現場にしか出来ないことである。

それも口で言うのは簡単だが実際に行うことは、実に難しいことである、


だから、餅は餅屋なのだ。












学校が、いざ始まって時間が経ってみると、

生徒は…
疲れる。
だるい。
面倒。
そんなマイナスの気持ちに襲われる。

あれほど、学校再開を望み皆に会うことを、どの部も活動することを待ち望んでいたにも関わらずである。

しかし、人間とはそういうものだ。そんなものだ。



そこでだ。
コロナ禍の中において、気持ちをどう上向きにしていくか。前向きに学校生活を送れるようどう導いていくか、まさに現場の教師の手腕が問われる。


コロナ禍がなければ、ルーティン化した中で学校をいつものように進めていけばよかっただけの話だが、今は違う。

生徒たちはコンクールを、コンテストを、数々のコンサートを、大きな部活動各種大会を失い、失意のどん底にいる。特に高校3年、中学3年は、そこに向けて頑張って来た。

その上に進路もある。進路を決めなければならない。親や担任は「そんなのんびりしていていいの💢」と責め立てて来る。(T_T)





そのような中、生き生きと学校生活を送るには教師が何をしたらいいのか、何をどう仕掛けていくのか。どうチャンスを作っていくのか。

まさに教師の手腕が問われる。

大袈裟ではなく、ここで本物か、単なるルーティン化の中でしか生きていなかった教師だったかがハッキリとわかる。






それは、政治とて同じ。
それは、行政とて同じ。

マスコミに煽られ踊らされる中、自分自身がブレることなく、国民を、県民を、市民をどう導いていくか。

私たちであれば、目の前にいる生徒をどう導いていくか。


手腕が問われる。


ただ教科書読んでいればいいのではない。

そういえば、ただ教科書読んでいるような政治家、行政の職員多過ぎる。そんなもん誰にでもできるわ!それで何百万のボーナスとか考えられない。
コロナ禍でガッカリ、残念過ぎる政治、行政を嫌というほど見てきた。政治、行政の正体丸見え。
もちろん中にはブレない素晴らしい政治家、役人の方はいらっしゃる。

と同時にその刃を自分自身に向ける。

お前は教師として、このコロナ禍休校明け多くを失った生徒にどれだけの夢と目標、そして充実した日常という過程を共に作り出せているんだ?

と問う。


本物なのか?
それともルーティン化されたことしか出来ないのか?

批判をクレームを恐れ指示待ち教師か?
批判をクレームを恐れず自分で考え動いている教師か?


問う。


全国の先生方!!政治家に、行政に情けない思いを抱いたなら、自分もその方々と同じかどうか、口だけではないか、ご一緒に自分自身に問いましょう。



この休校3ヶ月明けの生徒の気持ちを前向きにさせ、充実した日常を作り出すことは並大抵のことではない。


口では何とでも言える。

動いていらっしゃる先生方を心から尊敬している。

じゃぁ、自分はどうなんだ?
ここが抜け落ちないようにしないとならない。


問う。自分に。













真剣な気持ちは必ず相手に伝わる。




ブログを拝見いたしました。


私もニュースを見て唖然としました。

中学校の現場から「スマホの持ち込みを許可してほしい」という声が文科省にあがったのでしょうか?

スマホの持ち込みに関しては文科省が決めることではなく、各学校(せめて各自治体の教育委員会)で決めればよいことではないかと思います。

理由も「緊急時の対応や防犯に有効」とのことですが、徒歩で通える距離にある公立中に必要性を全く感じません(通学距離が遠い学校や私立については状況が違うかもしれません)。今までだって、持ち込まなくても特に問題はありませんでした。少なくとも私は持ち込み不要だと考えています。

私の住んでいる地域では保護者の方針でスマホを持たせてない家庭もまだまだあります。

「防犯に有効」ともっともらしい理由をつけてしまうと、今所持していない子がそれを理由に欲しがるのは目に見えています。

保護者からもしょっちゅう「子どもがスマホを手放さなくて困っている。」との相談がありますし、つい先日もスマホの持ち込みで指導をしたばかりです。


また近年、LINEトラブルの防止教室や、携帯マナー教室なども学校で行わなければならなくなっています。

ただでさえスマホに関するアンケート等もたくさんやらされているのに。持ち込み可能になったとしたら、学校での管理方法や新たなルールを作らなければいけないでしょうし、また余計な仕事が増えるのかと、ガッカリしました。


それとも現場の私たちの考えが古い?おかしい?


スマホの持ち込みを許可することが、コロナ禍の今、早急にやることなのでしょうか?

もっと他に生徒たちのためにやるべきことがあるはずです。


先生が仰るように、何かが変です。

















とある県の中学の先生からメールをいただきました。

中学校現場の大変さが手に取るようにわかります。












餅は餅屋。


現場に任せるべきことと、文科省がすべきこと、行政がすべきこと。


それぞれの得意分野がおありかと。





やはり、この国が向かおうとしている方向性、ずれ始めていると感じるのは私だけではなさそうです。




中学生。
学校へスマートフォン持ち込みを認める。

by 文科省


えっ!!!!!

これ?
文科省が決めることですか?




恐らく多くの現場の先生方は同感かと。





日本、歯車が狂い始めていませんか、と思うのは私だけでしょうか。それとも、このコロナ禍によりぼやけていたものが判然としただけなのでしょうか。






IMG_3985

ここまでする理由。


私にはどうしてもわからない。



ここにエビデンスが、生徒への愛があるとは、どうしても思えない。

これをワクチンが開発されるまで続けられるのでしょうか。何ヶ月もの間、この状態で授業を行うのでしょうか。

私にはどうしてもわからない。

私がおかしいのでしょうか。






県教育委員会は各県立高校に対し、朝練禁止、最終下校16:30、土日の活動制限などの部活動に関するガイドラインを提出して来た。
その意図が全くわからない。

感染リスクを下げるなら、朝練習を行った方が分散登校となる、ラッシュ時も避けられる。最終下校を16:30から18:30に変更したところで感染リスクが下がるとは到底考えられない。むしろ、ある県立高校吹奏楽部顧問は「最後下校16時半だと、慌ただしく片付けることになるんですよ。管楽器は片付ける時に唾を拭き取らなければならない。そこに時間をかけられなくなるので、逆に感染リスクを上げることになる。まさに感染リスク軽減とは全く真逆のことを県教育委員会は各県立高校に押し付けている。」と話されていました。
「だから、ここに実も感じないし、生徒への愛も感じない。」と。
全く同感です。

ちなみに船橋市教育委員会は、このような感染リスク軽減とは真逆のようなことを押し付けて来ることは一切ありません。さすがです。生徒への愛を感じます。




この県教育委員会のガイドラインには生徒への思いが確実に欠落しています。
まさか、これも生徒のことを思ってではなくノイジーマイノリティー対策?
だとしたら犠牲になっている生徒はどうなるのですか。納得いく説明がほしいと考えるのは私だけ?



千葉県高野連は代替大会実施を発表しました。県教育委員会は、これら一律の部活動への縛りを7月31日まで行うよう各県立高校に指示しています。これでは代替大会など出来る訳がありません。そもそも練習もできないのにどうやって代替大会を開くのでしょう。練習もせず試合をしたら、怪我の続出、暑さに慣れてない身体ゆえ熱中症の心配があります。ある意味、十代の高校生にとってはコロナよりも恐ろしいことです。


全く納得できない。

私がおかしいのでしょうか。








昨日、用事があり出掛けたら、街には早く下校させられた様々な高校の高校生が沢山沢山沢山沢山沢山いました。3密どころの騒ぎではありません。もちろん、私はその高校生たちを責める気持ちなどこれっぽちもありません。長い休校期間を終え、ようやく会えた友人、仲間、政府が経済を回すよう強く推し進めているのですから、お茶くらい当然でしょう。
これが現実ですよ、現実。






学校において上記の写真のように対策したとしても現実はかけ離れた所にあります。現実はあの段ボールには残念ながらありません。



現実をしっかりと見ましょうよ。もういい加減ポーズするのはやめませんか。








もし世の大多数の方々が学校は上記の写真のようにすべきだとお考えになられるのであれば、私は安倍晋三総理に再び休校のお願いをしたいと考えます。







ウィズコロナとは何か。
発狂せず、落ち着いて考えませんか。






学校を再開する。それは生徒の気持ちに寄り添いながら、正しく恐れ感染リスク軽減に努めることです。

ここが大事なことです。







ノイジーマイノリティーに対するポーズならばやる意味はありません。


ポーズには、生徒への愛も思いも、感染リスクの心配すらありません。

あるのはノイジーマイノリティー対策だけです。






実のないことは、もうやめましょう。



もっと健全な国にしましょう。
生きにくい国を自ら作り出し、自分の首を絞めるのはもうやめましょう。


まともなサイレントマジョリティーの方々はほとほと疲れ果てていらっしゃると思います。
















私がおかしいのでしょうか。
私がノイジーマイノリティーなのでしょうか。


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