誕生


友理たちの代       緑ジャ


部長  勝部友理。あだ名はゆっぺ。


私とゆっぺが出会ったのは、ゆっぺが小学校4年生の時。今から約8年前になる。たまたまお手伝いさせて頂いた小学校吹奏楽部にいたのがゆっぺ。楽器はトロンボーン。あの時からゆっぺの成長を見て来た。

中学生になったゆっぺ。楽器購入に際し、ゆっぺは、わざわざ市船まで来てトロンボーンの選定をした。昨日のことのように思われる。ゆっぺ中学1年生。あの時、あーこの子は3年後、市船に来るのだろうな、と漠然と思った。


学力も余裕、お釣りが来るほどの点数で市船を受験、当然合格。ゆっぺのように偏差値で高校を選択しない生徒が市船には多い。大変小気味いい。高校選択の考え方としては理想に思える。


偏差値で高校選択を迫る教育をして来た戦後70年以上続く日本教育の貧困さを感じざるを得ない。

かくいう私も偏差値で高校を選択した。

ゆっぺが羨ましい。




そのゆっぺが今や市船吹奏楽部の顔である部長。不思議な縁を感じる。私があの小学校のお手伝いをしていなければ、ゆっぺは違う人生を歩んでいたかもしれない。良くも悪くも教師の責任の重さがズッシリと肩にのしかかる。

ゆっぺとの出会いを正解に導けるようこれから1年また懸命に努力していかなければならないと自分自身に言い聞かせる。





あの頃から何も変わっていないゆっぺ。人から信頼される誠実で素直な人柄。もっと自信を持てばいいのに肝心な所で一歩下がってしまう。そこが、ゆっぺの良さでもある。しかし、これから巨大船 市船吹奏楽部の舵を取る以上、そういう訳にはいかない。


部長をはじめとした次期役職は、私と3年生との話し合いの中で決定されるのが市船吹奏楽部のやり方である。



部長 勝部友理。満場一致で決まった。ゆっぺが如何に周囲から信頼されているかを物語っている。

ゆえに自信を持ってリーダーとして突き進んでほしい。失敗など何千回とすればいい。何も恐れずに進めばいい。



赤ジャ美咲たちと緑ジャ友理たちは面白いほど対照的である。

赤ジャが感覚的であるのに対し、緑ジャは理性的である。それぞれにそれぞれの良さ、悪さがある。


これから消えゆく赤ジャ。

これから始まる緑ジャ。


行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。



赤から緑へバドンタッチされていく。



こうしてバドンタッチされ変わらぬ日常が続いていくことの幸せ。

これ以上の幸せがあるだろうか。



ない。






赤ジャ。12月25日  習志野文化ホールでの最終公演。有終の美を飾ってほしい。ここ市船吹奏楽部に居られるのもあと僅か。



緑ジャ。これから1ヶ月。この修行期間を12月26日からの部活運営に活かしてほしい。経験こそ最大の学びである。









マーチング東関東から1週間。

あっと言う間に過ぎ去っていった。


すぐに東関東の報告。

翌日には新しい代誕生の報告をしなければと思いながら忙殺される1週間であった。


この1週間にも毎日様々なことが起き続けていた。学校とは絶えず何かが起きる。その対応に追われていた。






また、素敵な人たちとの再会もあった。

火曜日には、ある仕事の打ち合わせで吹奏楽指導者、指揮者の緒形先生と火曜日にお会いした。話が尽きなかった。日本の教育界に対する同じ憂いを感じている緒形先生との語り合いは学ぶことばかりであった。相変わらずのパワーに圧倒され、時間が過ぎゆくことを忘れ、変わることなく真剣に語り合った。




木曜日には私が初任の頃にお世話になった80歳を越えるパワフルな方々との再会。これまた真剣に語り合い、時間が過ぎゆくのを忘れる。その聡明さは昔と何も変わらなかった。こう歳を重ねていきたいと思わせる第二の人生。憧れと私の中におおいなる決意を芽生えさせ深まらせた。80歳を過ぎても今尚輝き続ける原点は好きなことにトライし続けていることにある。





そして台風19号。

幸いにも私は被害に遭うことはなかったが、被害に遭われた方々が、もし自分自身であったらと考える。


今日のこの青空を恨めしく思うのであろう。

たまたま被害に遭わなかっただけのこと、いつ自分自身にふりかかったとしても何の不思議もない。


この台風の影響で緑ジャ2年生は、本日京都へ向け出発であったが、明日出発に変更。1泊 思い出深い修学旅行は減ったが、行けるだけでもありがたい。濃い2泊3日を過ごしてもらいたい。





私たちの不幸せの要因は贅沢にあるのだと考えさせられる。







同じ青空。

見る人によって心もようは違う。


いってらっしゃい、緑ジャ友理たち。