蛇口をひねれば水が出る。

スイッチを押せば電灯がつく。


当たり前の日常である。



しかし、自然の猛威はいとも簡単に私たちの日常を奪い去っていく。




生徒はふざけて、

「明日、台風来たら学校休みになるのかな。台風来ないかねー。でも来る、来ると言っていて、だいたい来ないよね。明日、休みになったらいいのになぁ。

今回の台風は休日に来るらしいよ。そらじゃ、学校休みになんないじゃん。」

悪気も何もない極普通の会話である。大人でさえする他愛もない会話である。




ところが、

台風15号、19号、そして豪雨は、他愛もない会話をしたことを悔いるほど甚大な被害を日本列島にもたらした。


台風の爪跡は色濃く残り、日常を奪われた方々は明日をどう生きるかもわからぬ状態である。



数十年に一度と言われていた台風が昨年は関西を襲い、今年は関東を襲っている。しかも一度ならず二度も。豪雨を含めれば三度である。


温暖化の影響なのか、地球の何かのサイクルなのか、私には全くわからないが、今までと違うことだけはわかる。十数年に一度と言われていた台風がこんなにも頻繁に日本列島に襲いかかっている。



台風だけではない。

あの3・11から8年の歳月が過ぎた。今後30年以内に南海トラフ、関東直下型地震が起きる確率は非常に高いと言われている。地球から見た30年など一瞬の出来事である。今すぐなのかもしれない。明日かもしれない。




自然災害。実に恐ろしい。

とは言いながら、当事者意識を持つことは非常に難しい。地震の恐ろしさも、津波の恐ろしさも、台風の恐ろしさも経験していない私。映像を観て想像は出来る。自分であったら、と考えることも出来る。しかし、どこかで他人事の自分がいる。それは無神経だとか、冷たいというようなニュアンスではない。適切に表現しにくいが、どこかで他人事の自分がいる。



恐らくこれは私だけではなく、未経験の人たちにとっては他人事なのだと思う。どんなに悲惨な映像を観たとしても、やはりどこかで他人事なのだと思う。



こればかりは経験しない限り到底わかるものではないのであろう。



私は、今、蛇口をひねれば水が出る。スイッチを押せば電灯がつく。何不自由のない日常を送らせていただいている。信頼する生徒たちに囲まれ日々学校生活を楽しんでいる。大好きな音楽三昧の日々でもある。今は那須高原大自然の中、全国マーチングコンテストへ向けドリルのモデルチェンジをしている。作曲家樽屋先生から今年の吹劇の曲をいただき、ワクワク心がときめいている。幸せそのものである。


しかし、こうしている間にも明日の暮らしをどうにかすることに苦悩している方々がいらっしゃる。が、無関心、無神経などではなく他人事である自分がいることは間違いない。



そんな私もいつか突然自然の猛威により日常を奪われる日が来るのかもしれない。来ないのかもしれない。誰にもわからない。



もし私が災害に遭った時、今の私のように遭わない誰かが、想像は出来るが、少しの募金も出来るが、短期間のボランティアも出来るが、決して悪い意味ではなく他人事として見ているのだろう。




とりとめもないことを書いてしまった。




1日も早い復興を願っています。

お身体だけは大切にされてください。




今、私に出来ることは、今目の前にいる人たちを大切にすることだけである。そして自分自身を大切にすることだけである。その日常で精一杯である。