私のアイデンティティは、3年緑ジャ友理達が自己実現することです。



3年緑ジャ友理たちは日々驚くスピードで進化しています。輝いています。私にはこのキラキラ輝く進化の過程を見守る義務があります。





だからこそ、

メディアの報道には懐疑的になります。メディアの報道にもエビデンスはありません。

もちろん、高橋泰教授や辛抱さんが話されていることも仮説の段階です。


メディアも、高橋泰教授両者共に極端。

だから、どちらか一方だけに偏るのではなく、私たちはバランスよく考える引き出しを増やしていく必要があります。





メディアの煽りには終わりが見えません。

先を見据え考え報道しているとは、どうしても私は思えません。

メディアにとってコロナも芸能人のスキャンダルも私には同等のものに見えます。


このblogでも何度も申し上げていますようにエビデンス無きものに偏ることは大変危険です。それを歴史は証明しています。


偏りは破滅に繋がります。



そして、

メディアの煽りに対する各自治体の対応、果たしてこれでいいのでしょうか。


偏見と差別を生み出す要因に遠からず自治体の方々がなられていることにお気付きでしょうか。


コロナよりも恐ろしいもの。それは差別と偏見から生み出される正義中毒による同調圧力。


3・11で嫌と言うほど経験して来たではありませんか。



ゴールが見えないコロナだからこそ、ゴールを見据える必要があります。腹をくくる必要があります。



白か黒かの論理にグレイの論理は絶対に勝てません。

しかし、白か黒かではなく、グレイこそが世の為、人の為という時が必ず必ずあります。





ゴールを見据える必要があります。その為には腹をくくるしかありません。










私は私に問いかけます。

緑ジャ友理たちを見守る腹をくくっているかと。




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『今日はありがとうございました。

今日感じたことを送らせてください。


高橋先生の話を聞いて、正直刺さりすぎて耳を塞ぎたくなるくらいの思いでした。自分からもコロナ禍になった今の状況からも逃げてばかり。自分のことを諦めていたというか、何も考えていなかったんだと思いました。自分のコンプレックスである部分から目を背けていたし劣等感を感じるのが怖くて逃げていました。どうせ○○には勝てない。私なんて。とずっと心のどこかで思っていました。本当に、何もかも中途半端でした。休校明け、ずっと行っていた朝練もテストを言い訳にして行っていませんでした。自分がこんなに弱い人間なんだと、今日気づくことが出来ました。私は何をしていたんだろう、と考えてしまい偉そうにパート練で反省を言っていたラッパのみんなにも、頑張ろうと気合いを入れ直している緑ジャのみんなに対しても申し訳なくて合奏のあの席に座っていることが恥ずかしくなりました。

1年生のとき、パートレッスンでお前の音は使い物にならない、と先生に言われたときを思い出しました。自分の音が嫌いで嫌いで。悔しくて仕方なくて。朝も昼も部活終わりの自主練も、死ぬ気でやっていたこと、思い出しました。いつの間にか、こんなに自分にだらしなくなってしまっていました。ダメな人間です。

合奏のとき、○○○○が隣で泣いていました。でも私、合奏のときは泣けませんでした。私には泣く資格すらないと思いました。2人は楽器に対して真剣です。だから自然と出てきた涙なんだと思います。努力もしてないくせに泣くなんてずるいと思いました。堪えました。

でも自主練の時間自分の音を聞いて、またこうやって逃げたら何も変われない、思いました。高橋先生のところに行ったら自然と涙が出てきてしまって、泣いている自分も嫌で悔しくて。本当にすみませんでした。

今日、私に気づかせてくれて本当にありがとうございます。

1225日まで今日の気持ちを忘れないようにします。

これが私の決意表明です。

高橋先生に送ることによって自分の意思を、今の気持ちを忘れないように送らせていただきました。

長々とすみません。

また明日から頑張ります。』









こんなにも真摯に自分と向き合っている生徒たちです。



もう8月になろうとしています。

幸いにも10代の重症者はゼロであり、また学校再開後、学校においてコロナが流行りに流行ったなど一度も聞いたことがありません。濃厚接触をきっかけにPCR検査をし、4、5人程度出たことをメディアはクラスター!クラスター!クラスター発生との大袈裟な報道はよく耳にしますが、冷静に落ち着いて考えてみるとインフルエンザのように学校で大流行したとは一度足りとも聞いたことがありません。


もちろん、そこに気を緩めるという意味ではなく、この子たちにはしかない、ということも極めて重大であるということを私は大切にしていきたいと思います。


過ぎてしまったら、もう取り返しのつかない日々をこの子達と共に私は毎日送っています。


人生は過去でも、未来でもなく、今です。











コロナ禍の中で生きる意味。

死生観、哲学が問われます。

もちろん私たち大人にです。











人生100年と謳いあげたこと、間違いではありませんが、間違いであったと私は思いました。